高田馬場新聞の開局当初。
昨年12月頃の記事で、手塚治虫先生ネタが続いていたのをご存知の方もいらっしゃるかと思います。

その時にご紹介したのがアトムまんの「青柳」、手塚先生専用メニューだった上海焼きそばの「一番飯店」、手塚プロダクションが以前入っていたビル1Fの喫茶店「つかさ」の3店舗でした。

その時に、どちらで話を伺っても感じたのが「手塚先生ラブ!」な想いでした。

ですが、実はまだ記事として取り上げていないネタがありました。
「高田馬場駅の壁画」と「JR高田馬場駅の発車音」です。

青柳さんの取材時に壁画のお話は少しうかがっていましたが、
今回はついに!本丸の手塚プロダクションへ取材へと伺うことになりました。

おーー!
早速アトムがお出迎えですよ。
おのずとテンションがアガります。

さらに中へ入るとそこにはもう、お宝がいっぱいですよ。
国内外のライセンスアイテムや、コラボアイテムなどが、それこそ山のようにあるわけです。

ある意味

「高田馬場遺産」ですよね、コレは。

そんなこんなでキョロキョロしていると、
手塚プロダクション クリエイティブ部の石渡さん(左)と日高さん(右)が。

高田馬場新聞
「今日はですね、“手塚プロと高田馬場の深〜い関係”ってことで、
壁画や発車音ができるまでのいきさつなどを伺えればと思って参りました!」

石渡さん
「せっかく来て頂いてなんなのですが、実は壁画と発車音については、
手塚プロとしてはほとんど取り組みに関わっていないんです」

高田馬場新聞
「えっ!それは……どういう……?」

石渡さん
「いずれも地域のみなさんが、手塚に対する思い入れから、独自に進めてくださったものなのです。
当社では依頼に対してコンセプトに沿った作画を行ったと聞いております」




おっとっと。またも先走ってしまったのか?高田馬場新聞。
せっかくの取材だというのに、いきなり迷走の予感が満載です……………

その衝撃のデカさにアトムくん(リリー・フランキーさん作)も、高田馬場新聞のうっかりを笑っているようにすら思えてきます。

むぅ。ではこの取材……どこに着地させようか。。。



日高さん
「それで地域の皆さんがこんなに手塚を愛してくださっている、そのお返しをしたい、と言うことでアトム通貨の取り組みが始まったんです」

高田馬場新聞
「あ、なるほど。そういう流れなのですか…」

話の糸口が見えて少しホッとしました。。



とは言えアトム通貨について説明をすると内容がかなり深くなりそうです。
ですのでアトム通貨のお話は別の記事に譲ることとします。



ということで、ここではまず壁画と発車音のいきさつを整理しておきましょう。

青柳さんの取材時にも伺った話ですが、以前の高田馬場駅周辺は大変汚く、山手線ワースト1になるほどだったそうです。
そこで、駅周辺の美化と街のシンボルを作る取り組みがスタートします。
そこで白羽の矢が立ったのが、手塚プロダクションのキャラクターたち。
1976年から高田馬場にオフィスを構え、しかもアトムが高田馬場生まれだという縁で、高さ3m・幅15mの壁画が設置されることになりました。
それが1998年のこと。

その場所は現在の壁画の場所と反対側、ベッカーズの辺りでした。



そしていよいよアトムの誕生日、2003年4月7日がやってきます。
ここ高田馬場でもアトムの誕生日を祝うべく、アトムパレードを開催することに。

そこで、パレードを盛り上げるべく青柳の飯田さんなどが中心となり「鉄腕アトムのテーマ曲をJRの発車音に」という企画が持ち上がります。


こちらが青柳の飯田さん(写真は昨年取材時のもの)。

高田馬場西商店街の予算で著作権関係の手続きをして、音源を作成。
JR東日本に掛け合い交渉の末、アトムが生まれた2003年4月、1ヶ月限定で駅の発車音に採用されることが決定しました。


アトムパレードは大盛況のうちに終わり、発車音も終了の期限を迎えます。



と、ここでJR側から「発車音の継続使用」についての申し入れが入ります。

どうやら期間限定での使用に対して「続けてほしい」との要望が、かなりの数届いたようです。




普通なら、まぁここで「今更なにをーーーー!限定とか偉そうに言っといて!ぷんぷん!!!」
とかってなってもおかしくない(僕だけ?)ところなんですが、飯田さんの英断が下ります。

「音楽著作料の支払さえ継続してもらえれば、
音源は譲っても良い」と。

これぞアトム愛、手塚愛(人の名前じゃないよ)のなせる業です。

と、そんなこんなで皆さんのご苦労があって、僕たちは山手線高田馬場駅のホームであの曲を聞くことができると言うわけです。
毎日利用する駅の発車音が他とちょっと違うのって、なんか嬉しいですものね。





それでは、続いて壁画について。

司法書士の大竹さんが詳しいとのことで、壁画前で待ち合わせてお話を伺いました。


大竹さんが一番お気に入りの「トッペイ・チッペイ」の前で


高田馬場新聞
「壁画の設置にはかなりのご苦労があったそうですね?」

大竹さん
「そもそもこの壁画は『広告』であり広告費がかかる、ということがありました」

高田馬場新聞
「あぁ。JRからすると、そういう認識になるのですね」

大竹さん
「一時は諦めかけたこともありましたが、多くの皆さんの力で壁画の意義を理解してもらい、何とか設置にこぎつけることができました」

そんな苦労の末1998年にできた壁画は、駅の改修工事のため2005年に撤去されます。

そして歩道の拡幅工事が終わった2008年3月、再現を望む声に応えて目白側のガード下に壁画が復活。
しかもJR側と西武側の2つに増えて!です。

JR側のものは手塚作品『ガラスの地球を救え』がテーマ。

朝・昼・夕・夜の流れと春夏秋冬を組み合わせて、人々の暮らしや風物が織り込まれています。

春の日差しを浴び、元気いっぱいに登校する子どもたち。

リサイクルを通じ、環境保全を呼びかけています。

秋は紅葉の中を練り歩く御神輿。

高田馬場がこんな街になってほしい、という願いがこめられています。



西武線側のものは高田馬場・西早稲田地域の「歴史と文化〜過去から現在そして未来へ」がテーマ。

堀部安兵衛の仇討ちの様子。

穴八幡宮の流鏑馬。

新宿で活躍した文豪たち。

と、ちょっとご紹介しただけでも、高田馬場の魅力がこんなにたくさんあるのだなぁと言うことがわかります。

さらに染ものがたり博物館の記事でもご紹介をした、地場産業の東京染小紋のパターンがフレームのデザインとして採用されているなど、細部に至るまでこだわり満載なのです!

かくして高田馬場は「アトムの街」として広く知られるようになりました。
取材中も外国の方が壁画前で写真・ムービーを撮影しているところに遭遇したりと、世界に誇ることのできる我が街の大切な財産と言えるでしょう。

皆さんも壁画の由来、メッセージへの理解を深め、ぜひご友人やご家族に教えてあげてください。

©TEZUKA PRODUCTIONS
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