高田馬場新聞は東京高田馬場の粋な情報を発信するWEBマガジンです。

2016年、ミャンマーを掘り下げてみる。

みなさん、あけましておめでとうございます!
2回目の登場。見習い記者Mです。

2016年に入っていきなりですが、みなさん2015年はどんな1年でしたか?

見習い記者M的には、家事・育児・お酒を繰り返す毎日の、いたって平凡な1年でした。
でも、高田馬場には2015年が人生を大きく変える歴史的な年になったという人が多いのをご存知でしょうか。

その出来事がこれ!

「とんかつの激戦区・高田馬場に牛かつ『あおな』が殴り込み!」
牛カツあおな

すみません、間違えました…
今後の「とんかつvs牛かつ」戦争の行方は気になりますが、この戦争はまだ始まったばかり。
盛り上がってきたら、高田馬場新聞でも取り上げますね。

正解は「とんかつvs牛かつ」戦争よりもずっと前から内戦状態が続いている、ミャンマーでの出来事です。
「アウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)、ミャンマー総選挙での歴史的勝利で政権交代へ!」

 

ちょっと新聞の見出しっぽく書いてしまいましたが、リトルヤンゴンと言われる、我が高田馬場に住んでいるミャンマー人にとっては大ニュースでした。
高田馬場には1300人のミャンマー人が住んでいるのだとか。

うん。これは放っておけない。
見習い記者M、sのっけからジャーナリズム精神が溢れてきます!
そこで今回は、お子様でもわかるように池上彰氏ばりの解説で「ミャンマーの政権交代と高田馬場」について鋭く斬り込みます!

 

まずはみなさん、ミャンマーはどこにあるか知っていますか?
高田馬場新聞でもミャンマーの話題は何度も取り上げていますが、池上先生もまずは地図から解説しているので、あえてここから始めます!
アジアの地図

北に中国、東にタイ、西はインドとバングラデシュに囲まれた、南北に伸びた長~い国で、面積は日本の倍くらいの大きさです。

ミャンマーの地図

そのミャンマーでは、半世紀にわたって軍事独裁体制が続いていました。
2007年、デモを取材していたジャーナリストの長井健司さんを至近距離から銃で撃ったのも軍の兵士でした。そりゃぁ猿岩石も、ヒッチハイクせずに飛行機を使いますって。ねぇ。

でも、そんな世界から危険視されていた国が今、生まれ変わろうとしているのです。
どう?ここまでついて来れてる?

気にせずどんどん先に進むよ!

 

さて、そんな危ない国から平和な国に変えようと先頭になった人がこの方。

Remise du Prix Sakharov à Aung San Suu Kyi Strasbourg 22 octobre 2013-18
By Claude TRUONG-NGOC (Own work

そう、アウンサンスーチー姉さん!
スーチーさんのお父さんはミャンマーがビルマだった頃に独立運動をして「ビルマ建国の父」と呼ばれた国の英雄、アウンサン将軍。
その娘であるスーチーさんは国民から大人気でした。
日本でいえば田中真紀子……いや、小泉進次郎といったところでしょうか。
もっとか。

なにせそんな人気者を政府は警戒。
スーチーさんを自宅から出られないように閉じ込めてしまったのです。
その期間、なんと14年!

当然のごとく、国際社会は黙っていません。
世界の警察を自任するアメリカを始めとする欧米諸国が、ミャンマーの軍事政権に対して経済制裁を始めたのです。
そうした背景のもとで2011年、約50年間も続いた軍政から民政への移管を開始。
民主化と経済改革が進められる中で行われたのが、2015年11月の総選挙だったってわけです。

 

結果はスーチーさん率いる野党(NLD)の圧勝でした。

さて、前フリが長くなってしまいましたが、本題はここからです。
なぜ、高田馬場新聞でこの出来事を取り上げようと思ったのか。

それは……
「ミャンマーが民主化されたら、リトルヤンゴン・高田馬場はどう変化するんだろう?」そんな疑問を抱いたからなのです。
気になりません?
絶対、何か変わると思うんですよ!
ねっ、気になるよね?
(うんうん)
かすかに読者の声が聞こえてきたから先に進むよ~

この話を聞くならここに行くしかありません。
テレビでもよく取材されている「日本で一番ミャンマーに近い場所」と言われる『日本ミャンマーカルチャーセンター(JMCC)』。
このJMCCは日本にいるミャンマー人にとっては故郷のようで、私たち日本人にとってはミャンマーの入り口のような、そんな場所です。
高田馬場駅の早稲田口から神田川を渡って右側にある雑居ビルの一室、ここがリトルヤンゴンの総本部です。

JMCC

もちろん手ぶらではいけないので「青柳」で買ったアトム饅頭を持参して、お話を聞きに行きました。

ドアを開けると、わずか10畳ほどの空間に広がるミャンマー100%。
ミャンマーの一般的な自宅を再現しているそうです。
祖国が恋しくなったミャンマー人がここで癒される…、「故郷」ってのも納得ですね。
室内にはミャンマー雑貨

 

そしてここの所長がマヘーマーさん。
日本語が私よりも上手でビックリ!

ちなみにミャンマーには「名字」がありません。
アウンサンスーチーさんも、「アウンサン・スーチー」ではなく、「アウンサンスーチー」とつなげて読むのが正しいのだとか。

所長のマヘーマーさん

見習い記者Mがおじゃました時には、ミャンマーの若者たちが日本語を勉強している真っ最中でした。
勉強を頑張ったご褒美にアトム饅頭。
掴みはOKです。
では早速、マヘーマーさんにお話を聞いてみよう。

見習い記者M「先日のミャンマーの総選挙でミャンマーが自由な国になったら高田馬場のミャンマー人にはどのような変化があるのですか?」

マヘーマーさん「結論から言うと、すぐに影響はないです」

 

アヘっ?!
ヤバい…出鼻をくじかれた。
焦る見習い記者M。
編集長の元へ手ぶらで帰ることはできません。

よしっ、切り口を変えよう…

見習い記者M「にっ、日本に来て驚いたことは何ですか?」

我ながらベタすぎる質問に愕然…
マヘーマーさんから返ってきた答えも同然ベタすぎたので省略します。

 

では、高田馬場にいるミャンマー人について聞こうじゃないか!
見習い記者M「高田馬場にはミャンマー人は何人くらい住んでいるのですか?」

またしてもベタな質問…

マヘーマーさん「高田馬場周辺にミャンマー人は1300人います。そのうち7割くらいは難民申請中の人です」
※見習い記者M注:残り3割は学生ビザや就労ビザを取得して来日。

見習い記者M「難民申請中とは?」

マヘーマーさん「20年くらい前から日本にいる人たちは、難民として日本政府から認定されていますが、それはごく一部で大半の人は難民には認定されていないオーバーステイ(不法滞在)の状態です」
※見習い記者M注:難民申請中の場合は日本に滞在できる。

ほうほう、何だか知らない事実がゴロゴロ出始めました。

見習い記者M「難民申請をすれば誰でも日本に来られるのですか?」

マヘーマーさん「いいえ、彼らは日本に来てから難民の申請しているのです。難民には2つのタイプがあって化“紛争難民”と“経済難民”があります。“紛争難民”は学生運動で政府と衝突してミャンマーから逃げてきた人、“経済難民”は貧困で生活できずに日本に来た人です。
10年20年前に日本に来た人は学生運動に参加して政府から目をつけられてミャンマーに住むことができなくなった“紛争難民”で、最近日本に来た人はお金を稼ぐために日本に来た“経済難民”です」

 

ふむふむ。
要は、おじさん・おばさんたちが日本政府から難民認定を受けている“紛争難民”で、若者たちは難民申請中でオーバーステイ状態の“経済難民”だと。

で、その“経済難民”とやらが今回のキーパーソンとなるのでした。

では、どうやって日本に来たのでしょうか?

マヘーマーさんのお話をまとめると…

学校を卒業したばかりの若い子たちは、日本企業が職業訓練を目的として雇った“外国人技能実習生”として日本にやって来ます。
でも、貧困層の人たちがいきなり日本企業の実習生になれるわけがない。
そこに登場するのがブローカーです。
若いコたちはだいたい2つのブローカーを経由して日本企業とのパイプを作ります。
その費用、なんと50万。もちろん借金です。
日本でヘコヘコ働いて返すのです。
昔は200万円だったので随分安くなったそうです。

そして、ついに来日!
夢と希望を持って、そして家族に楽をさせるために…

ところが行った先は地方の山間部や水産加工の工場。
来る日も来る日も朝から晩まで肉体労働の日々です。
給料は月収で6~7万。
「話が違うじゃないか」
条件が違う。ここで気付くのです。
「騙されたのか…」

しかも彼らはミャンマーの学校を卒業したばかりのコが多く、社会経験もほとんどない。
そんなコたちに過酷な労働が勤まるわけがない。
そして決めます!

脱走だーーーーーーーーーーーーーー!

とはいっても行くところがない。
そこでたどり着くのがミャンマーの難民のネットワークがある場所、つまり高田馬場なのです。
実際に2014年4月は高田馬場周辺のミャンマー人の人口は1106人だったけど、2015年4月には1310人。たった1年で200人も増えています。
もちろん、増えているのが全員「経済難民」ってことじゃないですよ。

じゃ、高田馬場にはこれからもミャンマー人が増えるのでは…

そんな事態を大きく変えたのが、冒頭で説明した「ミャンマーの総選挙」なのです。

ヒントは「ミャンマーの民主化」です。
勘が良い人はこれでわかったかな。

スーチー姉さん、お仕事を頑張る!

ミャンマーが自由で豊かな国になる!

日本政府「もうミャンマーは自由な国になったから難民は認めないよ」

難民の申請ができない!

日本に滞在できない!

強制帰国させられるかも…

 

そう、「ミャンマーが民主化されたら、リトルヤンゴン・高田馬場はどう変化するのか?」の答えですが…

高田馬場のミャンマー人の人口が減るかもしれないのです!

さらに、“難民”として政府から認められたおじさん・おばさんたちのミャンマー人も自由に祖国に帰国できるようになると帰っちゃうかもしれないというのです!

何となく調べたいなーと思って、編集長にゴリ押しした今回の記事。
実は高田馬場の隣人・ミャンマー人がお引越しのピンチを迎えていたのでした。

さっきまでアトム饅頭を食べていた女性にもお話をお聞きしました。
名前はヨンさん(仮名)23歳。
彼女も経済難民で、家族に楽をさせるために50万円の借金をして日本にやって来ました。
ミャンマーでは経理のお仕事をしていて、日本ではコンビニでアルバイトをしているそうです。
スーチー姉さんが選挙に勝って、ミャンマーが自由な国になることはとても嬉しい!と笑顔でお話ししてくれました。

そんな素敵な笑顔をぜひ高田馬場新聞に掲載しようと思ったのですが、残念ながら顔出しはNG。

ヨンさんが帰ったあと、マヘーマーさんが教えてくれたのですが、彼女も日本企業の実習生として来日したあと、いろいろあってここにたどり着いたそうです。
だから写真はNGだったのです。

ここで一つ誤解を解いておきたいのですが、日本にいる「紛争難民」も「経済難民」もミャンマーが自由な国になることはみんな大賛成だそうです。
とはいえ、スーチーさんも魔法の手があるわけじゃないのですぐに変わるわけじゃない。
だから、マヘーマーさんは選挙の結果によって「すぐに高田馬場には影響がない」って言ったんです。
任期は5年。
その間に起こるミャンマーでの出来事を遠く日本から見守ろうではありませんか。

マヘーマーさんは半年に1回ミャンマーに帰国しているそうです。
たった半年の間でもヤンゴンの経済発展は目に見えて感じるそうです。
ミャンマーでも日本と変わらない生活ができるようになっていることを喜ぶ一方でこんな事態にもなっています。

外国の資本が流入し、物価が急上昇しているそうです。
卵1個の値段も日本と同じ。
でもミャンマーの最低賃金は1日360円。
時給じゃなくて“日給”ね。
ちなみにミャンマーではケンタッキーが1本360円。
1日働いて買えるのがケンタッキー1本だけ。
こんなんじゃ、フライドチキンでクリスマスパーティーもできません。

物価の上昇に賃金が追いついていないので貧富の差は広まるばかり。
急激な経済発展を遂げる国にありがちな運命ですね…

その結果、ますます経済難民は増える可能性が高い。
何か暗い話になっちゃたけど、決して暗い話じゃないんですよ!
ミャンマー人は今、変わりゆく自国に大いに期待しているのです!

最後にマヘーマーさんはこう言いました。

マヘーマーさん「彼女は外交も上手で国民みんなが期待しています。でも彼女一人では変えられない。今の政府とも協力しなければいけないし、とにかくこの5年で人材育成が急務です」

マヘーマーさん

どうです?
高田馬場の皆さんもミャンマーに興味を持ってくれました?

今度は高田馬場に住む紛争難民の方にもお話を聞いてみたくなってきました。
でも、もう長くなっちゃったので今回はここでおしまい。
既に私、ミャンマーに興味シンシンです!

取材を終え、高田馬場のミャンマー料理店「ミンガラバー」で「ダンバウ」を食べていると、ふと思っちゃいました…

ダンパウ

国が変わろうとしている「今」を生で見たい!
よしっ!ミャンマーに行ってみよう!

この続きは、高田馬場新聞初の海外レポート「高田馬場新聞 from Myanmar」で!
…ホントかな?

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